「たまたま」出演者、大原研二さんインタビュー!

こんにちは、市民スタッフFです。

稽古場にて、「たまたま」ご出演の大原研二さんにインタビューをさせていただきました!

f:id:tamatamatama2017:20170717195031j:plain大原研二
1975年生まれ。福島県南相馬市出身。DULL-COLORED POP所属。TOHOKU Roots Project理事。主な出演作DULL-COLORED POP『演劇』、テアトル・ド・アナール『従軍中のウィトゲンシュタイン(略)』、ミナモザ『彼らの敵』、映画『アウトレイジ』など。

 

ーワークショップで実際に多摩の街を歩かれて、どのような印象をお持ちになりましたか?

多摩センター駅からパルテノン多摩までの道のりはすごく“作られた感”があって、それが広範囲に延々と続いていくのかと思ったらそんなこともなくて、そこ以外は“山を切り拓いて作った街”という印象を強く感じました。
自然だけれども人の手が入った自然というか。もっと人工的な印象を受けるかと思っていたけれど、思った以上にナチュラルな印象を受けましたね。

ー大原さんは福島県南相馬市のご出身で、現在東北のプロジェクトなどにも携わられていますが、ご自身の“故郷”について、現在どのように思っていらっしゃいますか?

地元は大事で、すごく根っこにあるもので。そこで育っていなければ、今こうはなっていないだろうな、ってことをすごく感じさせるし、理由も帰るとなんとなくわかるというか。
TOHOKU Roots Projectはほぼみんな東北出身の人の集まりで、地元が近い人の“共通の感覚”みたいなものがあるので、自分が生まれ育った街、土地、エリアから受けている影響って大きいんだな、と感じています。

ーそうなんですね。私は多摩で生まれ育って今は出て行った身なのですが、地元に対する「愛憎」みたいなものがあるんですね。出て行ってから良さに気付いたこともたくさんあるのですが、ずっと「出て行きたい」と思いながら暮らしていた街で。 大原さんは地元に対してそういった複雑な感情を持ったことはありますか?

僕の場合は、ここで生まれ育ってよかったな、っていう気持ちが根っこにありますね。
出ていくときも親に大学に行け、って言われて出て行ったくらいなので。
外に出て行きたい、っていうのそもそもあんまりなかったんですね。都会に比べたら何もないけど、それで不便を感じるタイプの人間ではなかったので。

ーもしかしたら地元に残っていた可能性も……。

全然あったと思います。
ベースにある感覚みたいなものは、田舎で生まれ育ったから感じるところもあり、それに関しては誇りにも思っている部分もあります。

ーその感覚が羨ましいです。

帰れる場所、田舎があって、それがさらに都会ではない、っていうことに関してはたまにこっち(東京)の人に羨ましがられますね。

ーそうですよね。帰れる田舎がある、というのは。

震災のこともあって複雑といえば複雑ですが、地元をなんとかしよう、というよりは、このまま残ってくれたらいいな、っていう気持ちです。帰ったときに原点回帰みたいな気持ちになれるように、生まれ育った環境が残ってくれていたらいいな、と思っています。

ーありがとうございます。それでは「たまたま」の舞台に関してお聞かせください。
今回の役どころについて教えていただけますか?

(開拓前の)元々住んでいた側の人間の役がメインになると思います。そういう意味では、僕が住んでいた地元の人たちと共通点があるのかな、という感じです。今回(作・演出の)美咲さんの作品の中でもわりとぶっ飛んだことをしているので(笑)そのぶっ飛んだほうの世界の住人です。

ーぶっ飛んだほうとぶっ飛んでないほうに分かれる感じですか?(笑)

そうですね(笑)このバランスが最終的にすごいおもしろい感じに収束していく予感がしています。

ーそれでは最後に観に来てくださるお客様へ一言お願いします!

子供が観ても大人が観ても、幅広い世代が受け取れるメッセージが入ってきそうだな、と感じています。あとは美咲さんの作品を観ている方や、よく演劇を観る方たちには、「こんなんもあるで!」っていう(笑)、僕らの遊び心とか、あんまりこういうのやれって言われてもやらせてもらえる機会が少ないことをやれそうな世界観なので、そういうのを楽しんでもらえる機会になったらいいな、と思っています。

 

 新しい一面が観られることを楽しみにしています!
大原さん、ありがとうございました!

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